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藤の屋文具店

藤の屋文具店

海水浴



              セピア

              海水浴


 夏休みのビッグイベントは海水浴。ラジオ体操が終わってしばら
くしたころ、カランカランと鐘を鳴らしながら町内のおじさんが知
らせてまわる。きれいなバスが2台、いつもの集合場所に止まって
いて、ウィンドウには「元町一の組町内会 2」なんて紙が貼って
ある。席は早いもの勝ちなので、ドアが開くと子供達は殺到する。

 バスは2号車が先で1号車は後、すれ違うクルマに、あと何台い
るか教えるためだそうだ。街中を抜けたあたりでガイドのおねーさ
んがマイクを握り、挨拶をする。みんなぁ、宿題は進んでるぅ、な
んて調子で子供たちに愛想したあとは、歌を唄いだす。わぁーれわ
うーみのーこぉ、しーらなぁみぃのー。女の子は素直に聞いたり一
緒に唄ったりしているが、男ははしゃいでいる。替え歌を唄うやつ
もいる。わーれはのーみのこ、しーらぁみぃのこぉー。
 唄い終えるとマイクをまわす。長いコードがついているんだけど、
さすがに後ろまでは届かないので、途中のジャックに差し替えてま
わす。抜くときと差すときはガリッと音がする。役員のおっちゃん
はマイクを握ると、あーあーほんじつはせーてんなりを必ず言って
から挨拶をして、「ああ北の庄」なんてつまんないやつを唄う。も
うちょっと若いにーちゃんだと、スリーファンキーズの英語の歌、
よそのおかーさんは「ジンジロゲ」なんてのを歌っていた。あと、
小学校の校歌を唄う人もいる。みぃどぉりしずーかな、おっしろぉ
のほっとぉりぃー。。

 山道にさしかかると、いつものハプニングが始まる。妙に静かに
していたやつが、まず、しゃっくりをはじめるのだ。次に、ズボン
のベルトをゆるめたりし始めたら、まわりの大人は、シートの後ろ
の網の中にあるポリ袋を取り出しておもいっきり広げる。つーんと
酸っぱい匂いが漂い、連鎖反応を起こしてあちこちでうげぇーっと
やり始める。バスに酔いやすい人は、ゆでたまごとミカンは食べち
ゃいけないんだってば。

 山道が終わると、突然、目の前に海が開ける。青い海は水平線で
空につながり、真っ白な入道雲が大きく広がる。ぱたぱたとカモメ
が飛び交い、フィーッフィーッと汽笛が鳴る。灼熱の陽射しは色を
奪い、道路脇の道は切り絵となって後ろへ流れる。

 海水浴上の駐車場にバスが止まると、われ先にと浜茶屋へ突進、
ばばっと服を脱ぐと下は水着をすでに着ていて、そのまま海へと突
入していく。準備運動なんて形だけさ。
 ひとしきり遊んだ後は昼食。海苔でまっくろに巻いた大きなおに
ぎりと卵焼き、薄っぺらい「牛肉の大和煮」と書いたカンヅメをき
こきこ開けると、ミニチュアの昆布巻きやら煮豆やらコンニャクの
細いのに混じって、ほろりと崩れるお肉も少しあった。食べ終わっ
たらみんなでかき氷、レモンだイチゴだと悩んで注文する。喜んで
二口食べたところでアタマがきーん。
 砂浜に仰向けに寝転んで目を閉じると、やけにいろんな音が大き
く聞こえる。波の音、セミの声、遠くで仲間たちの笑い声、スピー
カーから流れるのは、梓みちよの「ポカンポカンポカン」まぶたの
中は真っ赤に明るい。じりじりと照りつける陽射しの下で、宿題の
ことはとりあえず忘れてシアワセに昼寝する。

 午後はカニ釣り。50円で買ったカニ釣りセットを手に、防波堤
の岩の隙間を物色する。短い竿の先に吊るした糸にはスルメが結ん
であって、いやしいカニがはさんだところを吊り上げるのだ。釣れ
たカニはバケツに入れる。
 カニ釣りに飽きると水中メガネ。ピンポン玉の弁のシュノーケル
がついたやつで、海の中を覗く。岩の間のイソギンチャクにそっと
指を入れて、きゅうっとすぼまるのを見たり、ヘンな魚がのそのそ
と底のほうを動いていくのを、唇が紫色になるまで眺めつづける。
 4時頃になると帰りの支度。そば屋のおじさんが鐘を鳴らしなが
ら知らせてまわると、僕たちはしぶしぶ着替えにかかる。海水パン
ツをひっくり返して砂をぱらぱらと落とし、冷たい水に悲鳴を上げ
ながら潮を洗い流す。

 帰りのバスは、ガイドさんの愛想に答える声も少なく、ひとり、
ふたりと熟睡していく。




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